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韓国語メモ(4)   

依然として放置気味の韓国語ではありますが、毎朝身支度
しながらNHKラジオ・ハングル講座を聞いています。
韓国歌手のコンサートに行く設定の応用編が面白いです。
今朝は「~して食べる」という、食堂などで使えそうなお役立ち
表現が出てきたので、メモっておきます。

072.gif싸먹다
「包んで(巻いて)食べる」
サンパプにサンギョプサル・・・
野菜に包んで食べることが多い韓国料理。

072.gif비벼먹다
「混ぜて食べる」
「包んで食べる」よりさらに多い「混ぜて食べる」韓国料理。
ビビンパもパッピンスもチャジャンミョンもそうですね。
時にカレーライスはどうしているのでしょう?

072.gif말아먹다
「汁などにご飯をいれて食べる」
お味噌汁ご飯とか、日本でもなくはないですが、韓国では
超ポピュラーな食べ方ですよね。
テンジャンチゲにご飯いれてたべたり、ソルロンタンもそう。
あー、食べたくなってきました^^;

072.gif찍어먹다
「つけて食べる」
ラジオではなく、前に韓国語教室で習いました。
チヂミをたれにつけて食べるとか、きゅうりにコチュジャンを
つけて食べる時などに使う表現。

072.gif잡아먹다
「捕って(捕まえて)食べる」
これも最近習った表現。
動物が獲物を捕って食べる時に使うのでちょっと場違い?
ですけど、一応「~して食べる」つながりで^^;
民話『해와 달이 된 남매』に出てきました。


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# by books-and-cafe | 2010-05-27 12:50 | 韓国語メモ

韓国語メモ(3)   

忙しくてすっかり放置気味、韓国語教室もお休みしてました。
たまに時間が見つかるとついつい好きな映画を観てしまい、
韓国語へのモチベーションは下がる一方・・・025.gif

そんな中、別ブログでおつきあいのある韓国のブロガーさんとの
やりとりで、覚えておきたい韓国語が出てきたのでメモ、メモ^^

072.gif쾌유
漢字で書くと「快癒」。
病気などが本格的に回復(全快)することを意味します。
「쾌유를 빌다(全快を祈る)」という表現でよく使う様子。
父が入院していたと話したら、「아버님의 쾌유를 빕니다」
というメッセージをくれました。

072.gif쾌차
漢字で書くと「快差」。
意味は「쾌유」と殆ど同じです。
「병이 쾌차하다.」で「病気が治る」の意味。

072.gif증정본
このままの形では辞書に載ってませんでした。
「증정」=「贈呈」なので、「贈呈本、進呈本、寄贈本」という意味
になります。これはなかなか自分からは使わない言葉かも・・・


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# by books-and-cafe | 2010-05-17 12:38 | 韓国語メモ

パリのボヘミアン、モディリアーニ (7)   

パリのボヘミアン、モディリアーニ(6)の続きです。
やっと最後にたどりつきました。
さらっと読めるかと思って読み始めたけれど、思いの外大変でした・・・凹
でも翻訳作業はなかなか面白かったです。

原文はコチラ

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파리의 보헤미안, 모딜리아니 (7)
パリのボヘミアン、モディリアーニ (7)


잔느 에뷰테른과의 비극적인 사랑과 죽음
ジャンヌ・エビュテルヌとの悲劇的な愛と死


1917年夏、モディリアーニは、ロシアの彫刻家ハナ・オルロフ(Chana Orloff)の紹介で日本人画家フジタツグハル(藤田嗣治)のモデルだった19歳のジャンヌ・エビュテルヌと出会った。保守的でブルジョア的なエビュテルヌの家族は、モディリアーニをうらぶれた落伍者にすぎない画家と考え、ユダヤ人であるという点にも反感を抱き、二人が会うことに反対した。結局エビュテルヌはモディリアーニとの関係のため、熱心なローマカトリックであった家族と縁を切ることとなった。二人は家族の反対をおしきって一緒に暮らした。そしてその年の冬、1917年12月3日、モディリアーニは、新し物好きのベルト・ヴェイユの画廊で最初で最後の個展を開いた。しかしその画廊のウィンドーに展示されていたモディリアーニのヌード絵画2点が警察の目に触れ、開展後数時間もたたぬうちに閉鎖するはめになった。この後、モディリアーニとエビュテルヌはニースへ旅立ち、そこで女児をもうけ、母と同じジャンヌという名前がつけられた。ニースへの旅は、レオポルド・ズボロスキー、モディリアーニ、フジタらの画家たちによって企画されたもので、当地を訪れる金持ちの旅行客に自分たちの絵を売るためのものだった。モディリアーニは数点の絵を売ったが大したお金にはならなかった。この時期、モディリアーニの人気は最も高く、評価の高い傑作も手がけている。彼は一生の間に多くの作品を売ったが、一度として大金を手にすることはなく、稼いだお金は酒と麻薬に消えてしまった。1919年5月、モディリアーニ夫妻は娘を連れてパリに戻り、アパルトマンを借りた。そのアパルトマンでジャンヌ・エビュテルヌとモディリアーニは互いの肖像画を含め、自分たちだけの絵の世界に没入したのだった。

この時期モディリアーニの健康状態は急速に悪化した。アルコール中毒により気を失うこともしばしばあった。1920年、数日の間、何の物音もしないのを不審に思った近隣の住人が訪ねていくと、ベッドの上のモディリアーニは、殆ど意識はなく、妊娠9ヶ月目を迎えていたエビュテルヌの手を握り横になっていた。医者を呼んだが、モディリアーニは治る見込みのない結核髄膜炎で死にかけていて、手の施しようがなかった。1920年1月24日、モディリアーニはこの世を去った。彼の葬儀は、モンマルトルとモンパルナスの多くの芸術家たちが参列する中、盛大に執り行われた。エビュテルヌは、両親に連れられて来たが、あまりに大きな喪失の悲しみに打ちのめされてしまっていた。結局エビュテルヌは、モディリアーニの死の2日後、5階から身を投げ、お腹の中にいる9ヶ月の子どもと共にモディリアーニの後を追った。死んだ後もモデルになるというモディリアーニとの約束を守ったことになる。二人の関係に反対し続けたエビュテルヌの両親は、1930年が過ぎてようやくエビュテルヌをモディリアーニと同じ墓に葬ることを許可した。

モディリアーニは、貧困と窮乏の中で命を終えた。一生涯でたった一度だけ個展を開くも、作品の多くは食事代と引き換えにレストランにあげてしまった。しかし、彼の死後、その評判は広く知られるところとなり、作品の価格も急騰した。また彼の生涯をもとに映画3本、ドキュメンタリー1本、小説・戯曲9本が作られた。フィレンツェに住むモディリアーニの妹の養女となった15ヶ月のジャンヌ(1918-84)は成長し、父の伝記『Modigliani: Man and Myth(モディリアーニ:人と神話)』を著した。


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056.gif 나온 단어와 표현
보수:保守
불구:かかわらず
제재:制裁
조직:組織
부유:富裕
그럼에도:それでも
결작:傑作
실신:失神
잦다:頻繁だ
수막염:髄膜炎
성대하게:盛大に
치러다:(重大なことなどを)行う
벗어나다:切り抜ける
셈이다:つもりだ
적대적:敵対的
개인전:個人展
끼니:食事
널리:広く
다루어지다:扱われる
입양:[入養]血肉関係のない間柄の養子縁組


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# by books-and-cafe | 2010-04-15 12:17 | 韓国語の記事

パリのボヘミアン、モディリアーニ(6)   

パリのボヘミアン、モディリアーニ(5)の続きです。
独特の画風についての記述。意外に短くあっさりまとめられています^^;
スーティンは、日本ではChaim Soutine(シャイム・スーティン)が一般的
かと思いますが、原文に従いました。

原文はコチラ

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파리의 보헤미안, 모딜리아니 (6)
パリのボヘミアン、モディリアーニ (6)


왜곡된 코, 길게 늘어진 목과 마스크의 독특한 양식
曲がった鼻、長く伸びた首、顔面の独特なスタイル


1909年、モディリアーニは荒れた生活に心身ともに疲れ果て、健康を崩して故郷リヴォルノに戻ったがすぐさまパリ・モンパルナスのアトリエへ舞い戻った。元来自分は画家より彫刻家に向いていると考えており、情熱的な若き画商ポール・ギョームの紹介で彫刻家コンスタンティン・ブランクシーと出会うと、彫刻に対する熱意はより高まったのだった。モディリアーニの一連の彫刻シリーズは1912年から1914年までサロン・ドトンヌで展示されたが、戦争が激しさを増すにつれ、彫刻の材料を手に入れるのが難しくなった上、体の衰弱によってモディリアーニは彫刻を諦め、絵画に専念するよりほかなくなったのである。

モディリアーニの彫刻は、彼が美術館で出会ったアフリカとカンボジアの美術に影響を受けた痕跡があるが、その様式化にあたっては北イタリアでの修行時代によく目にした中世彫刻の影響があると推定される。アフリカの種族の面に対する興味は肖像画にも見受けられる。彫刻と絵画、すべての作品において、モデルの顔は、アーモンドのような独特の目、常にすぼめられた口、曲がった鼻、そして長く伸びた首を有している。こういった顔立ちは、古代エジプトの絵画に似ている。当時モディリアーニは、スーティン(Chain Soutine)、キスリング(Moise Kisling)、ピカソ(Pablo Picasso)、ディエゴ・リヴェラ(Diego Rivera)、ホアン・グリス(Juan Gris)、マックス・ジャコブ(Max Jacob)、ジャン・コクトー(Jean Cocteau)といったモンパルナスの画家仲間の肖像画を次々に描いた。


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056.gif 나온 단어와 표현
왝곡:歪曲
심신:心身
발발:[勃勃]さかんに
쇠약:衰弱
접하다:触れる、接する
북부:北部
추정:推定
종족:種族
초상화:肖像画
오므리다:すぼめる、つぼめる
고대:古代
유사:類似


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# by books-and-cafe | 2010-04-14 07:14 | 韓国語の記事

パリのボヘミアン、モディリアーニ(5)   

パリのボヘミアン、モディリアーニ(4)の続きです。
タイトルと同名ののセクション、死ぬほど単語引きました・・・^^;

原文はコチラ

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파리의 보헤미안, 모딜리아니 (5)
パリのボヘミアン、モディリアーニ (5)


파리의 보헤미안, 모딜리아니
パリのボヘミアン、モディリアーニ


1906年、モディリアーニは前衛美術の中心パリへと居を移した。モディリアーニがパリという芸術実験の中心地へ着いた頃、美術史に大きな足跡を残した別の二人の外国人芸術家、ジーノ・セヴェリーニ(Gino Severini)とホアン・グリス(Juan Gris)もまたパリへ足を踏み入れていた。モディリアーニはモンマルトルの貧乏画家らが暮らすラ・バトー・ラボワール(La Bateau-Lavoir)地域に小さなアトリエを借り、住みついた。そこではほとんどの画家たちが貧しかったが、モアディリアーニが借りたアトリエはルネサンスの複製品やフラッシュサテン生地で装飾され調和のとれたインテリアで、モディリアーニの風貌もまた退廃的というよりこざっぱりした印象を備えていた。初めてパリへやってきた時、モディリアーニは母親に定期的に手紙を書き、アカデミー・コラロッシ(Academie Colarossi)でヌード画をスケッチし、酒も適度に楽しむ程度だった。当時の彼は非社交的で、一匹狼として見られていた。

パリにやってきて1年にもならないうちにモディリアーニの品行と評判は劇的に変化した。こざっぱりした学者風の画家のイメージから流浪の民のリーダーのような姿に変わり果てたのだ。黒い帽子と赤いスカーフというボヘミアン風芸術家のいでたちに身を包み、生活が厳しくなると貧民外をうろうろとさまようになった。詩人でジャーナリストのルイーズ・ラトゥレット(Luoise Latourette)は、モディリアーニのアトリエの壁にかかっていたルネサンスの複製品が消え、フラッシュサテンの壁掛け布はボロボロ、部屋が雑然となっているのを目にしている。当時モディリアーニはすでにアルコールと麻薬に溺れていて、アトリエはその疲弊した様子をよく表していたのである。モディリアーニはアトリエにあったあらゆるブルジョア的痕跡を排除したばかりか、自分が描いた初期の作品も捨ててしまった。初期の自分に対するモディリアーニの暴力的な傾向は、結核という病いがきっかけになったと考えられている。

結核にかかって以来モディリアーニは自分が早死にすることを予感していたのかもしれない。当時、結核に対する典型的な反応といえば、生ある間大いに楽しむこと、自己破壊的な行動をとって快楽にふけるというものであった。モディリアーニはこうしたボヘミアンな環境の中、女たちと逃避行を繰り返し、アルコール、アブサン(20世紀初頭ヨーロッパで流行っていた酒)、麻薬に溺れていった。酒に酔って人の集まる場所で服を脱いだこともある。彼は次第にヴァン・ゴッホのような悲劇的芸術家の典型となっていった。しかしそんな状態にあっても、パリ初期時代、モディリアーニはすさまじい速度で絵を描いた。絶え間なくスケッチし、一日に描いた絵は100数枚にも及んだが、その多くは失われてしまった。気に入らない作品は捨ててしまったり、度重なる引越しでなくなってしまったり、恋人にあげた作品はきちんと保管されることもなかった。モディリアーニの絵は当初ロートレックの影響を大いに受けていたが、1907年頃にはポール・セザンヌの強い影響が見られる。しかしモディリアーニはいかなる様式カテゴリーにも属さない、自分だけの独特なスタイルを作り上げた。


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056.gif 나온 단어와 표현
거주지:居住地
족적:足跡
정착:定着
복제품:複製品
플러시:フラッシュ
천:布
휘장:幕となる
조화:調和
모양새:かたち
퇴폐:退廃
말쑥하다:ざっぱりしている
지니다:備える
품행:品行
평판:評判
극적으로:劇的に
유랑:流浪
일인자:第一人者
가장:仮装
빈민가:貧民街
어슬정 어슬정:人・動物がうろつく様子、ぶらぶら、のろのろ
돌아다니다:歩き回る、さまよう
~이자:~と同時に
어지럽다:(部屋の中が)雑然としている
화폐하다:荒廃
푹력적:暴力的
추정:推定
전형적:典型的
잦다:しばしば、よくある
행각:行脚、ほうぼう歩き回ること
벌이다:とりかかる、開く
압생트:アブサン(Absinthe)현대초 우럽에서 유행했던 술
끓임없이:絶え間なく
와증:渦中
상당:相当
없애다:失くす、取り除く
~경:~頃

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# by books-and-cafe | 2010-04-12 23:20 | 韓国語の記事